瞑想修行 inスリランカ
お久しぶりです、ペペは生きています。
実はこの一週間、スリランカの山奥のお寺で瞑想修行をしておりました。
丁度プロジェクトの谷間が出来て、久しぶりに長い休みが取れたので、折角だし独身の今しかできないような一人旅をしようという事で、一週間山籠り瞑想ツアーに出かけることに。
現地では電気もガスも水道も無く、半山籠りのような環境での、ほぼ自給自足の集団生活を送っておりました。
日の出と共に起きだして活動を始め、日の入りと共に活動を辞め、夜はひっそりと蝋燭の明かりで静かに暮らす。
周りは民家も無く明かりが無いので、晴れている日は星がくっきりと綺麗に見えて。
文明がまだ発展していない頃の人類って、こんな風に暮らしていたんだなぁと妙に感動してしまいました。
そんなプチ山籠もり生活一日のスケジュールはこんな感じ。
不便な事も多かったですが、慣れれば結構どうとでもなるもんで、色々と新鮮な体験が出来て楽しかったです。
特に、一緒になったイギリス人(男)がブラッドピット(アラサー時代)に激似のスーパーハンサムガイで、男の私から見ても惚れ惚れするくらいセクシー。
そんな彼が額に汗して肉体労働をしていたり、静かに瞑想している姿はたまらんかったです。(*´Д`)ハァハァ
さてさて、冗談はさておき、以下この一週間つらつらと考えていたことを忘備録として残します。
1.瞑想って面白い
「何で瞑想をするの?:曇りなき眼(まなこ)を育てる為 」
瞑想の究極目標は、思考から個人のエゴを取り除くことだと教わりました。
瞑想中は深く深く呼吸に集中していき、頭をクリアにして思考を取り除いていく。
そうしていくと、まるで水の中にいるように、世界と自分の間に膜のようなものが出来、肉体と精神が分離していくような感覚に襲われる。
瞑想修行を師事して頂いたマスター曰く、こうやって自我を取り除いた状態を意識的に作り出し、慣れていく事によって「曇りなき眼」を育てるのだそうな。
要は思考をするときに、事実と個人の主観を分離して、メタ思考的に考える訓練ってことなのかなと個人的には解釈しています。
例えば、とある出来事に出会ったときに、内側から湧き上がってくる感情(喜び・怒り・悲しみ等々)を客観的に観察し、事実と主観に分けて考える。
そして、もし個人のエゴ(主観)が物事の認知を歪めていると気づいたならば、その原因を探っていく。
こういった考え方は、宗教観だとかは関係なく、偏見や感情といった主観に支配されないために、そして思考停止しない為にも非常に重要なステップなのかなと思います。
「脳科学で見る瞑想」
そもそも私が瞑想に興味を持ったきっかけって、とあるセミナーで脳科学者の話を聞いたこと事が始まりです。
彼女曰く、とある研究によると、瞑想を定期的に行う事によって、脳の形が物理的に変化するそうです。そして、意志力の強さ、集中力、ストレス耐性に優位な変化が見られたそうな。
心理学者なんかでも瞑想を推奨する人も多いですが、宗教の為の修行ではなく、瞑想それ自体が人体にポジティブな効果を持っているというのは面白いですね。
特に、私みたいなADHD(発達障害)は日ごろから雑念に支配されがちなので、これは是非試してみたいという事で本格的に習う機会を探していたところに良いチャンスが巡ってきたので今回の瞑想修行ツアー参加の運びとなったわけです。
まだ、本格的に初めて一週間なので効果のほどは分かりませんが、何時も散らかりがちな思考を、意識的にシャットダウンする時間を作るのは良い感じに作用している気がします。
是非、継続的に続けてみて実際の効果を試してみたいところ。
余談ですが、こういう研究って西洋の方が進んでいる印象があります。実際、同じお寺に来てたグループ内で、アジア人は私だけでした。
今はもしかしたら東洋人よりも西洋人の方が、瞑想の効果に興味を持って熱心にやっている方が多いのではなかろうか。
2.山籠りって面白い
「最悪○○すれば生きてけるの基準が大幅に下がる」
人間だれしも、最悪のケースに備えた、セーフティネットを心の中に持ってると思うのです。
例えば私の場合は「最悪自分の身に何かあっても、月10万円ぐらい何とか稼げれば普通に暮らしていく事は出来るし、まぁ人生何とでもなるだろう」というのが心の中のセーフティネットでした。
これが、文明から切り離された、半自給自足の山籠もり生活を経て、「最悪どっかの山にでも入って半自給自足のテント生活をすれば、生きていくだけならどうにでもなるな」まで下がりました。
自給自足って、実際にやってみるまではどんな暮らしなのか見当もつきませんでしたが、やってみると意外とどうにでもなるもんなんだなぁというのが正直な感想。
「優しい世界は穏やか。でもどこか寂しく虚しい」
瞑想修行中は、グループ内でのコミュニケーションは推奨されておらず、瞑想を師事してくれるマスターと少し喋る以外は、ひたすら無言で過ごす日々でした。
まさに、全員がぼっち生活を送るような感じです。
一緒の空間で瞑想をして、ご飯を食べて、時に肉体労働をするけれども、お互いに会話をせず、干渉もせず。
ぼっちでも、誰も非難しません。笑うことも、可哀想と思われることも無い。従って、他人を批判したりされたりするようなことは一切ない。だって、全員がぼっちなのですから。
ぼっちが多数派の世界って、本当に穏やかな世界でした。
誰も傷つかない、優しい世界があそこにはありました。
でも、誰も傷つきませんが、同時に寂しく虚しい世界でもありました。
最初は穏やかで静かに時が流れるのみなのですが、3日目ぐらいから、無性に人恋しくなってしまいました。
やっぱり私は、時には面倒なことがあったとしても、他人と関わり合いながら生きてたいなぁと。
「心の休息には良いかも」
ただ、そんな穏やかながら少し寂しく虚しい生活も、精神が病んでいるときには非常に良いだろうなぁと思いました。
人との関わりに疲れ切っているときに、一週間程度、究極の自分探しをしながら、誰にも干渉されず穏やかに暮らすのは有りだなぁと。
過去、色んなことが原因で病んでしまって「今もしも精神科に行ったら間違いなく鬱と診断されるんだろうなぁ」という時でも誤魔化し誤魔化し気合いで何とかしてきましたが、本当に疲れた時がまた訪れたら、今度は山奥のお寺に瞑想修行にでもしてみようかと考えてます。
「禁煙するのには最高の環境」
実は、今回の私の目的の一つは禁煙です。今度赴任する先が、たばこの値段が日本の2、5倍というとんでもない値段なので、いい機会だし禁煙しようかと思ってました。
禁煙で一番つらいのは依存症が抜けない最初の一週間です。
でも、物理的にタバコにアクセス出来ない環境に身を置けば禁煙せざる得ないだろうと。
お蔭さまで、今の所禁煙を続けられています。
吸いたくなったら瞑想で欲望を抑える日々で、早速瞑想が役に立ってますw
もしも、現実逃避がしたくなったら、瞑想修行ツアーお勧めです。