学級崩壊に見るグループダイナミクス
学級崩壊し、そして再生していく様子を現場の教師目線で綴った記事です。
現場の大人目線でこの様なことが書かれるのは稀であり、内容もすごく生々しく、非常に興味深く読ませていただきました。
そういえば、自分の小学校時代も学級崩壊があったなぁとしみじみと思い出してしまった。
1.多数派が空気を支配する
この記事の中で、学級崩壊に至る過程と再生のプロセスが説明されているのですが、これをグループダイナミクスの視点から整理すると、以下の通りになるのかなと思います。
グループの種類
①先生の言うことを聞かない問題児(先生の目線から見て、ですが)
②先生の言うことをきちんと聞く優等生
③どちらにも属さないその他
学級崩壊の過程を見ると、クラスに何らかの問題が生じ、先生のマネジメントが効かなくなった段階でグループ①がクラスの中心として台頭してしまう。
そして、これによって形成された空気感によってグループ③が追随し、先生の言うことを聞かない人たちがクラスの多数派と成ってしまい、結果学級崩壊が発生する。
逆に、再生のプロセスはこれと全く逆のことが行われる。
グループ②の優等生グループを”あえて”尊重し、彼らがクラスの中心となる空気感を意図的に醸成する。結果、グループ③がまたもやこれに追随し、クラスの多数派が入れ替わる。
その結果、グループ①は少数派となり、その影響力は弱められていく。
本当、社会の縮図そのままって感じですね。
こういうのは実際の社会でもよくある話だけど、まだ自己が確立されていない小さいときほどこのグループダイナミクスの受ける影響は大きいのかもしれない。
だから、簡単に大人でいう暴徒が発生するし、逆に驚くほどあっさりと鎮圧もされる。
(勿論、これを組織としてじゃなくて個々人レベルでマネジメントしなきゃならない学校の先生は凄く大変だとは思いますが・・・)
2.学校は閉鎖された社会
もう一つ、注目したいのは学校のクラスというは閉鎖社会という点。
基本的に、外部との交流は薄く良くも悪くもクラスが一つの閉じられたコミュニティになってしまう。
そして、閉じられたコミュニティというのは硬直的になり、同調圧力が強くなってしまう。
会社で考えれば、本社の管理部門なんかがこの傾向が強いと思う。基本的に外部との接触が少なく、部内の人間関係だけで完結することが多くなってしまうため、独自の文化が形成され、かつ強い同調圧力が発生し、異物を排除しようとするパワーが発生しがちだ。
閉じられたコミュニティというのは、他のコミュニティと比較する機会が少ないため、良くも悪くも極端になる傾向があると思う。
先生のリーダーシップとマネジメントが機能している時はいいが、一旦タガが外れると自浄作用が起きにくい。だから、クラスが暴走し崩壊する。
3.グループダイナミクス・集団心理と日本人
よく言われることだけど、良くも悪くも日本人は特にこういうグループダイナミクスと集団心理の影響を受けやすい傾向がある。
和をもって尊しとするってやつですね。
目線を高くしてみれば、日本自体が単一民族・単一言語、かつ島国という閉じられたコミュニティだからかなぁと考えてます。
ただ、個人的にはこれは別に良い悪いという是非の問題ではなくて、あくまで日本人が持っている国民性の一つの特徴だと思う。
要は、少し独特な特徴だけど、これはうまく機能すれば凄い強みになるし、逆に作用すればどうしようもない弱みになるというだけ。
この点について、より深い考察を見てみたい方には、古い本ですが「菊と刀」(戦後日本の統治について、とある外国人の目線から分析したエッセイ)が凄く興味深くてお勧めです。
戦後の日本全体に起こった社会的グループダイナミクス、そしてその源泉となるパワーとその作用について非常に鋭い分析が書かれています。
逆に、我々が個々人レベルとして認識すべき事は国民性として、グループダイナミクスに影響されやすい傾向を持っているという事だと思う。
傾向がわかれば、対策もしやすい。
自分が行動する時は勿論だし、組織をマネジメントする時にもこれを考慮しないと失敗する。
多数派に支配されるというのは、窮屈であると同時に、非常に心地よく、そして楽でもある。でも、個人的には自分を殺して思考放棄をするのはしたくないし、他人に自己や人生を支配されるのはまっぴらごめんです。
そういう意味では、日本におけるリーダーシップ論ってちょっと特殊。海外のリーダーシップ論の本を読んでもピンとこない事が多いのは、求められるリーダーシップの種類が違うからなんだろうなぁと常々思ってたりします。
勿論、これは個人的な勝手な考察なんで異論があるのは認めます。むしろ異論が聞いてみたい。