朋有り遠方より来たる、また楽しからずや
本日は4年ぶりくらいの友人と久々の再会飲みでした。
高校、大学、社会人と人生のステージが変わる度に過去をバッサリ切ってきた私。
ですが、ありがたいことにそれぞれのステージでほんの数人程度ですが、1~2年に一度会って近況報告をしあう友人達がいます。
1.自分という人格は、近しい人たちで形作られている
今日の飲みで議論した話題が、友人ってタイプが分かれるよねというもの。
大きく分けて、下記の2種類があるのかなと思います。
①ご近所・仕事関係等、日常生活のコミュニティの友人
②コミュニティ関係なく数カ月~数年に一回、機会があったら会う友人
よく聞く話ですが、人は最も近しい人達を、その人数で割った人格になるそうです。
逆に言うと、自分を変える一番の近道は付き合う人達を変える事になるのかなと思ってます。
だから、ステージが変わると話題が合わなくなったりして、多かれ少なかれ友人は入れ替わっていくのかなと。
私はこの傾向が特に顕著で、ステージが変わって生活が変わる度に、過去の友人たちとの関係を維持するのにほとんどリソースを割かなくなり、そのごパッタリ会わなくなるパターンが多かったなぁと。
(その為、結婚式は呼べる友人数が少なすぎるので、海外で上げるしかないと思ってますw)
でも逆に、②の友人たちは、自分の中で環境によって変わらない、コアになっているようなものを共有しているんだなぁと思う。
それこそ両手の指の数に満たない数しかいないけれど、何年経っても大切にしたいと思う。だからこそ機会を作って、リソースを割いて”わざわざ”会うようにしているんだなぁと。
2.友人の種類によって話題って違う
もう一方で、今日話してたのが、生活を送る上では①の友人たちも②の友人たちも同じように必要な存在だけど、友人のタイプによって話の話題がガラッと変わるよねと。
①の普段のコミュニティで接している人達とは、やっぱり日常の生活の事とか仕事の事とかが話題のほとんど。これは、飲みに行っても変わらない。○○さんがどうしただの、仕事の愚痴だのがどうしても話題の中心になってしまう。逆に、所属するコミュニティが変わると、そんな内輪話をしてもしょうがないので自然と関係性は遠のく。
分かり易い例が、女性で未婚・結婚・結婚して子供がいる3パターンでの比較。
それぞれ属しているパターンが違う場合、どうしても日常生活の話題は違ってきてしまうし、距離は遠のいてしまいますよね。
一方で、②の友人たちとは、お互い近況報告の後は、例えば将来の夢の話だったり、普段人にはあんまり言えない話や、それに対する考察だったりで、コミュニティに由来しないという点で話題のレベル感が違ってくる。
まぁ逆に、そういう話が出来る人達だからこそ深い&長い付き合いが出来るっていうのもあるんだけど。
でも、この久しぶりに会う×コアな部分を共有している距離感だからこそ出来る話題ってあるよなぁと思う。そして、そういう話を、普段全く別のコミュニティにいて、違った目線を持っている人たちとそういう話をするのは、お互いすごく刺激になるし楽しい。
そして多分、②の友人たちと毎日会ってこの楽しさが維持できるかというと、そうでもないだろうなぁと思う。お互いに、話題が無くなっちゃって、日常に埋もれる中でまた新たな関係性と距離感を築かなきゃならないだろう。
ここまで考えて、ふと自分の結婚したい人に求める要素はどうなんだろうと考える。
長年の友人たちのような関係を望んでいたけど、生活を一緒にするんだから、当然ながら彼らとは関係性と距離感は違うものになる。
そうすると、実は根本的に求めるべき特性がちがってくるんじゃないかとふと思う。
あの友人たちと、過去に日常生活を共にしていた時ってどんな感じだったっけ。。
(これについては、今回の記事の趣旨と外れるので、今回は多くは書きませんが、また時間が出来たら考えを整理して考察をしてみたいと思います。)
何にしろ、たまに会って、そして楽しく語り合える親しい人たちがいる。
こんなに嬉しく、ありがたいことは無いですね。