トリコロールの謎:SNSが持つパワー
フランスパリでのテロ活動、現地にいる友人たち全員の無事が確認できて、心からホッとしました。
今回、フェイスブックが大活躍でしたね。友人に連絡する前にフェイスブックが無事を教えてくれて、改めてSNSの力を思い知りました。
所で今回、フェイスブックでプロフィール画像をトリコロールにする方が一時爆発的に増えましたね。
私自身は、天邪鬼なんで世の中の流れにこういった形で乗るのに抵抗があって、自分の画像は変えてはいないのだけど、代わりに、例え少額でもどこかで寄付でもしようと思っています。
とは言え、特段トリコロールにしている人達に対して何らネガティブな印象を持っているわけではありません。プロフィール画像を変える個々人の思惑や目的が何であれ、やらない善より、やる偽善。
これが、パリでテロ被害にあった人たちに少しでもポジティブな影響を与えることが出来るのなら、喜ばしい事じゃないですか。
また、この是非について問う事も個人的には興味はないです。
正直、トリコロール賛成派にしろ、否定派にしろ、どちら側でも肯定するロジックはいくらでも作れる。これは個人の主義主張の問題なのであって、個人の好き好きと思っています。
誰にも主義主張を他人に押し付けたり変えさせる権利はない。
ただ、こういう社会的ムーブメントがあるたびに、どこかモヤッとしてしまう自分。
何がモヤッとしているのか、まだ自分でも整理出来ていないのですが、小骨がのどに刺さったような小さな違和感を感じて、そしてなんとなくこの違和感を放置して思考停止してはいけない気がしている。
(自分でも面倒くさい性格だなぁと常々実感しています・・・)
プロフィール画像を次々と変えさせる社会的なパワー・ダイナミクスの正体は何なのか?
このパワー・ダイナミクスに反応してトリコロールに変える人たちの意識下・無意識化にある思惑・目的は?
上記の結果、どんなメカニズムが働いて、フェイスブック上でこれだけ多くの人を数クリックさせているんだろう?
ここ数日、グルグルグルグルと考えてみたのだけど、納得できる解が得られない。
それっぽい説明やロジックは幾らでも作れるんだけど、どれも腹落ちしない。
また、今後も色んな記事が上がっていく事だろうと思うので、その中で何らかの解が見つけられればいいなぁと思いつつ、忘備録的に本記事を残します。
もし、何らか考察や記事があれば、是非教えてください。。。