アラサー男 30にして志を立てる

真面目に不真面目なことを考えるのってなんでこんな楽しいんだろう。

見えない敵:”がんばって行動する人たち” と ”しないやつら” の内戦

好きだなぁ、こういう人(*´ω`)

自分が正しいと思うことを、信念を持ってやり抜ける人は本当に尊敬しています。勿論、他人に迷惑をかけない範囲において、だけど。

 

spotlight-media.jp

 

以下、特に刺さった部分を引用:

紀里谷:断言してもいいけど、いま日本国内では内戦が起きていると言えますよ。

どういうことかというと、“がんばって行動する人たち”と“しないヤツら”の内戦。“何かに情熱を傾ける人たち”と“それをバカにするヤツら”の内戦。インターネットが普及して以降、ここ10年くらいに起こった日本の衰退は、“ヤツら”のほうに耳を傾けすぎてしまったことによる衰退だと思いますね。

これをしたら、なんか嫌なこと言われるかもしれない、デメリットがあるかもしれない、炎上しちゃうかもしれない…。そうやって耳を傾けすぎて、姿の見えない第三者の言いなりになってる。でも、そいつらは誰なの?なんなの?

実際にそいつらの住所をつきとめて会いに行ったとしたら、きっと笑い転げると思いますよ。こんなくだらないヤツらだったのかって。こんなヤツらの言うことを気にして真に受けてたのかって。

いい加減、目を覚まそうよ。そういうヤツらは、一体何人いるの?人数としては、すごく少数だと思うよ。そんな少数のヤツらのせいでどれだけの人たちが苦しんで、どれだけの人たちの夢がつまれて、どれだけの人たちが傷ついてるんだよ、って話です。

 

これには全くもって同意。責任も無く、見えない外野から攻撃をするのは、一番下らない行為だと思う。撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ。

 

勿論、生産性のある意見・異論や批判は大歓迎。

だけど、ただ人を馬鹿にするだけの、見えなくて掴めない空気のような悪意には何の生産性も意味もない。攻撃される側、攻撃する側双方において。

スティーブジョブスじゃないけど、こんな事の為に自身のリソースを使うには、人生はあまりにも短い。

 

ここまで書いて、ふと、なぜこの部分が心の琴線に触れたのかを考えてみる。

そこで、ふと思い当たったのが自分にとってトラウマかつ黒歴史の高校時代。

 

1.学校のクラスという見えない化け物

                                       

唐突ですが、私は高校時代は完全にクラスから孤立していました。

別に、虐められていたとかそんなんじゃない。ただ、いっつも居心地が悪くて、早く卒業したい、なんて事ばっかりを考えていたように思う。

 

今から思えば、学校って本当特殊なコミュニティだと思う。

担任が選んだ30~40人程度が同じクラスに編成され、クラスメートというコミュニティを形成する。文字通り、生活の大部分をクラスメートと過ごさなければならないため、ある意味、人生の全てがクラスになる。

 

一方で、クラスにおける組織ダイナミクススクールカーストと呼ばれるかなり特殊なもの。

容姿、成績や運動能力のような分かり易い指標もあるけど、評価の大部分を占めるのは雰囲気やポジショニングといった曖昧模糊としたもの。

でも、これらが文字通り自分のクラス内でのランク、引いては高校生活を左右する。

 

当時は「なんであんなくだらない人が意味もなく威張ってるんだろう?」と結構本気で悩み、そして最後まで理解が出来なかった。

  

でも、別にそれだけなら距離を置けば良いだけなんだけど、一番苦手だったのは、「同調圧力」という見えない空気のような力。

特に、私の高校は女子8割、男子2割という少し特殊な構成だったので、この力が強かったかもしれない。 

 

私は不器用で、昔も今も納得できないことには従えないし、天邪鬼で人から言われたとおりに物事を受け入れるのは大の苦手。

もし理不尽に命令されようもんなら、平気で反論してしまう。(要は空気が読めないやつです)

 

 

思春期で自意識過剰で人一倍捻くれていて、そしてまだ未熟だった自分は、当然ながらクラスで次第に浮いていく。

 

そうすると、クラスの中では何か見えない空気のようなものが醸成される。

そしてその空気のようなものが、見えない力で間接的にプレッシャーを生む。

 

明確に敵意を表してくれたり、もしくはロジカルに反論してくれれば、こちらも反抗できるんだけど、相手は空気なので掴もうとしてもスルッとすり抜けてしまう。これには本当に参った。

 

そして、そんな空気の持つ力に対して、当時の自分はあまりにも無力で、結局白旗を上げて全面降伏することになってしまう。

 

そんなこんなで、高校時代は数少ない友人と居る時以外は、大抵はサボるか、本を読んでるか、寝てるかしかしていませんでした。生ける屍という言葉が正にふさわしい生活だった気がする。

 

大学時代に入って、集団行動が減ったこと、そしてコミュニティの人数が増えて似た考えを持つ友人を見つけやすくなったこと、また自分も相性の悪い人達との適切な距離感の取り方という社会性を身に着けたことで、高校時代に感じていた何とも言えない居心地の悪さを感じる事は徐々になくなっていきました。

 

 

2.二度と黒歴史を繰り返さないために

                                       

高校時代は、人生の一つのトラウマであると同時に、一つの大切な学びも与えてくれた。

私は、高校の学校生活に代表される、周りと協調し、空気を読む力が重視される伝統的なコミュニティに圧倒的に向いてないという事。

 

この弱みを嫌というほど自覚していたので、就職活動をするときは伝統的な大企業は真っ先に候補から外した。苦手なものからは逃げるに限るってやつですね。

 

そして、不本意な状況を甘んじて受け入れなければならないという状況が何よりも苦痛という事を学んだので、何時如何なるときにでも、自分の人生は自分で選択できる力を養おうと決心した。

 

だからこそ、新卒では若い時から仕事をバリバリとやらせてくれ、成長できるであろう実力主義な企業を選んだし、選択肢の幅を広げるためにMBAにも行った。

もし、高校時代と同じような状況に陥ったら、何時でも逃げ出せるように。

そして、首になるというリスクを恐れて、自分がやりたい事が出来なくならないように。

 

 

余談ですが、実は近々10数年ぶりの高校の同窓会があります。高校時代は忘れたい黒歴史なので、一人の友人を除いて、全てその後会うこともしなかったので、他とは文字通り10数年ぶりの再開。

 

正直、あんまり良い思い出もないのだけど、好奇心と怖いもの見たさで参加することにしました。

もう一度クラスメートと会って、10数年間を経た今の自分が、彼らと会って何を感じ、何を考えるのかは実は結構楽しみだったりします。

 

最後に、かの有名なスティーブジョブス氏のスピーチをもって、本稿を締めたいと思います。反省と自戒も込めて。。。

以下、引用:

Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma ―which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.

Stay hungry, Stay foolish.

 

あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。

ハングリーであれ。愚か者であれ。

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