アラサー男 30にして志を立てる

真面目に不真面目なことを考えるのってなんでこんな楽しいんだろう。

女性の品格:キラキラワードが生み出されるサイクル

友人A子24歳「やっぱり、若くて自分の価値が高いうちに、売り抜けて結婚がしたいんです。どうすれば誰もが羨む人と知り合えるんですかね~?」という事を聞かれる。

婚活でもしてみれば?なんて適当な事をその時は答えた。

 

まぁ、よく聞く話だし、多分賢い行動なんだろうなぁと思いつつも、こういう話を聞く度にいつもどこかモヤッととしてしまう自分。

それで、今回はなぜいつもモヤッとするんだろうという事を自分なりに考察してみました。

 

 

まずは、考え方のとっかかりとして、かの有名なJPモルガンのCEOからの返信を改めて読んでみる。以下、引用

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あなたがやろうとしていることは「美」と「お金」の交換です。しかし、ここには1つだけ重大な問題があります。「美」は、そのうち「なくなってしまう」ということです。しかし、「お金」はそうではありません。実際、私の年収は上がり続けています。しかし、あなたは毎年どんどん美しくなるでしょうか。つまり、経済的な観点では、私は「魅力的な資産」ですが、あなたは「値下がりしていく資産」だということです。しかも、「急激に値下がりする資産」なのです。もし「美」があなたの唯一の資産ならば、あなたの10年後の価値は、かなり心配すべきものでしょうね。
ウォールストリートでは、どんな取引にも「短期保有」と言うものがあります。あなたとデートすることは、「あなたを短期的に保有すること」です。取引では、売買するものの価値が落ちるとわかれば、私たちはそれを売ってしまいます。「長期保有」することはないのです。でも結婚は、「あなたを長期的に保有すること」なのです。
残酷なようですが、賢い選択をするなら、急激に価値が値下がりするものは、売ってしまうか、リースするくらいで十分なのです。年収50万ドルを稼ぐ人は馬鹿ではありませんから、あなたとデートはしても、結婚することはないでしょう。お金持ちと結婚するための方法を探すのはおやめなさい。それよりも、あなたが年収50万ドル稼ぐ人になるのです。これが私のアドバイスです。お金持ちの馬鹿を探すよりも、ずっとチャンスがあるでしょう。
この返信が、お役に立てますように。もしあなたが「リース契約」に興味があるならご連絡ください。」

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この話、よく男性側からの視点でスカッとする話として取り上げられていますが、この話の本当のポイントって、「もし「美」が貴方の唯一の資産ならば」に凝縮されている気がします。

つまり、この話にそって女性の価値を定義してみると以下のような公式になる。

 

女性の価値=①容姿(年齢)+②その他の人間としての価値

 

①の容姿については、瞬間的には価値が高いけど、年々劣化していくものだから、②の価値を頑張ってあげましょうね、というのがこの話の教訓ですね。

 

ここまで考えて、昨今の婚活市場での女性への評価はどうなっているのかについて考えてみる。

 

一般的に、婚活市場で男性側が女性に求めるスペックとして、一番重視するのが、容姿・年齢というのは明白。

若い子・容姿の優れた女性に多くの男性が殺到する。

逆に、例えば学歴が高かったり、仕事が高くて優れた実績を残している女性についてのニーズは、勿論ゼロではないものの、残念ながら一般的にはあまり重要視されていないように思う。

 

人間とは、こういった一般解にに対して、多かれ少なかれ、また意識的にしろ無意識的にしろ最適解を演じようとするもの。

 

だからこそメディアはそのニーズをくみ取って、結果的に女性誌には「愛され○○」だの、「○○女子」という文字が並び、彼らは女性の願望を煽り、ビジネスにする。

そしてあたかも、美貌をもって愛されて、 誰もが羨むような男性と結婚することが人生の勝ち組なのだという価値観が醸成されていく。

 

 ・・・とここまで考えて、とある一つの仮説に至って愕然とする。

 

この全てのサイクルの始まりは、男性側の評価軸の問題なのではないか。

男性が女性を性の対象としてしか評価していない事がこのサイクルの始まりではないのか。

男性が、女性の性としての部分(容姿・年齢)を消費する目線でしか評価していないこと、

そして、女性にとって生きるための一つの最適解が男性からそのような目線で評価され、結婚し安定した生活を得るという構造になってしまっている事。

 

このサイクルが冒頭の女性の一言を引き出したのかもしれないとう思いに至り、なんともやるせない気分に。

なんかもう、男性の身としては、その傲慢さに申し訳ありませんでしたと言うしかない。

 

勿論、この仕組みを利用して、美貌・若さを最大限利用している女性たちもいて、それはそれでハッピーな事なのかもしれないが、年月と共に自分の価値がすり減っていき、その価値の維持に躍起にならざるを得ない人生は、やっぱり個人的には虚しいし、寂しいと思う。

傲慢だけど、自分が男性でよかったと思ってしまう。

 

あるべき論としては、フェミニズム論者が言うように、だからこそ男性上位社会の改善をということなんだろうけど、不幸にしてどのようにしたらいいかという具体的な解を、私はまだ持たない。

 

現時点で、私にできることは、例え個々人レベルに過ぎなくても、女性に正当な敬意をもって接し、女性の人間としての部分を正当に評価する姿勢をもつことだけ。

 

社会なんてそんなもんだと言えばその通りだし、ナイーブな意見というのは自分でも分かっているけど、それでもやっぱり自分が歪だと思うことについては、思考停止をして素直に受け入れることはしたくないと思ってしまう。

 

もしかしたら、来週には忘れているような、一時の暇つぶしに過ぎないあほな考えなのかもしれないけど、なんとなく忘れたくなくてブログに残すことにしました。

 

ここまで読んでいただいた方、まとまっていない駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました。